古来より、庭は移り行く時代ごとに生きる人の希望の風景を表してきました。
一方で庭づくりはその人の楽しみを見つける旅のようなものです。環境に配慮しつつ、
四季を通した生活の喜びを見出せる場所となりますように。
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「視覚と思想の冒険」
ところで庭園とはなんでしょう?
その問いを庭園学の講義で最初に聞かれ「権力の象徴です」と答えてしまったのを覚えています。
建築学科に入り、庭園?=エリザベス宮殿のトピアリー?日本庭園?貴族の館や大きなお寺、仰々しく構えている点ではエジプトのピラミッドも皆同じ、というひどく大雑把過ぎる印象しか持っていない状況でした。京都の市内の寺院を見て回って見ていくうちに先入観の垣根は取り払われ、すっかり魅了されて行くことになります。
塀の中と外の文化
庭園というものが意識的に作られる以前、同じ場所で暮らす人々の共通の想いを形にするとき、暮らしが豊かなものとなるような祈りが込められた造形物が作られました。
日本に仏教が入ってきて、極楽浄土や地獄の概念が結びついて、理想郷としての浄土式庭園が生まれました。そしてその空間は現世俗世と分け隔てるように塀で囲われました。
その後時代は進み夢窓疎石は同じく仏教の禅宗の思想から得た境地を作庭を通して表現し、西芳寺など世界史にも残る庭園を誕生させました。一方でほぼ同時期に一遍上人民衆のために考案した念仏おどりが大きな広がりを見せたのは、この時代に民衆の側も強く求めるものがあって、塀の中と外の文化の対照的な2つの動きそれぞれのやり方で時代の空気を表していると感じました。
一休宗純
夢窓疎石や一遍上人が亡くなる頃、臨済宗大徳寺派の僧、一休宗純が現れます。天皇の血筋を引くものでありながら、骸骨を杖の頭に引っ掛けて御用心御用心と唱えながら市中を行脚する縦横無尽さに閉じた文化を引っ掻き回そうとする精神を感じました。また、「我が宿は柱も立てず葺きもせず、風にも当たらず、雨にも当たらず」という侘しさの美学と滑稽さが漂う歌は大学で建築専攻している私に対しても謎かけをしてくれているような歌でした。
その影響もあって一休宗純周辺の景色にも興味が広がり歌舞伎者 行商人、仮装して市中を歩く練り歩きの文化、などの道の文化が貴族やお寺の塀で囲まれた中で作られてきた文化の外の景色も見えてきました。さまざまな身分の人が行き交う道で起きている風景、文化は整然とした庭に作られた秩序とは別の魅力でした。
庭園を作った禅僧は全国を行脚する事を修行の一環として、道で起きる様々な出来事を肌に染み込ませながら世の中という問いと向かい合っていたでしょう。
茶の湯
一休宗純と時を被って村田珠光が現れます。茶の湯の源流を作った人と言われます。珠光は茶道の道で最も大事なことは和漢の境を取り払うこと、異文化を吸収し、己の独自の文化を展開すること、としています。また、自分の成長と見合った道具を見極める事を面白いとしています。一休の思想に共感しながら無意識に作られる概念の垣根を取り払い、現在進行形の心の有り様を積極的に視覚化しようとする試みに思えとても興味深い出来事でした。一休開基の真珠庵の方丈東庭「七五三の庭」は珠光作と言われていますが、背の低い石だけが散りばめられた平面的な石の配置は考案の謎解きのような雰囲気と奥ゆかしさを感じさせます。
境をとり払う
その後茶の湯は千利休によって大成されますが、詫びしさをまとって自分を見つめることと境地を視覚化することを会得した精神が時代を超えて人の心を掴む要素になったと感じます。何より他との敷居を取り払うという茶の湯の佇まいを通した主題は現代にも投げかけられています。
庭を作るにあたっても問いと面白さを生み出し続けていきたいと思います。
・自己紹介
藤原 夏来
1978年生まれ
子供のころより絵を描くことが好き。見かけによらず体力がある。学生時代は絵画、建築と興味をのばし、京都で庭と建築の融合した空間に親しむ。
木造の設計事務所に3年勤務のち、東京都町田市の植木屋に2年勤務。2011年より植木屋ふうけいあそび運営。
植木屋 ふうけいあそび
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